8050問題を引継ぐきょうだいたちへ

これは、見えない将来への不安で押しつぶされそうになっている「私」にあてて書いている手紙です。そして、同じ思いをかかえている私の知らない「あなた」にも読んでほしいのです。

1. はじめに

これは、見えない将来への不安で押しつぶされそうになっている「私」にあてて書いている手紙です。

普段は考えないようにしながらやり過ごしている時限爆弾のようなのもへの不安が、時折大波のように押し寄せてきて焦燥感に駆られたときに、そっと読み返したいと思い綴っています。

焦燥感に駆られるままに「私のきょうだい」にとって致命的な打撃を与えかねない「善意の押し売り」を「私」がしないために、何度も読み返したいのです。

 

そして、同じ思いをかかえている私の知らない「あなた」にも読んでほしいのです。

なぜなら、きっと心の中が整理でき、不安の中で苦しんでいる「あなた」にとってのふさわしい出口が見つかると思うからです。

出口の見えない暗い部屋の中で「あなた」と「あなたのきょうだい」はどれくらいながい年月、苦しんできたのでしょうか。5年?10年?いや何十年でしょうか?

 

長い年月の間に、「私」には、身の回りの人と表面的に仲良くしながらも「わたしの家(うち)」の話題に触れないように細心の注意を払い、人と深いつながりを持つことを避ける習性がすっかり沁み付いてしまいました。

友人との何気ない会話の中でのちょっとした話題に深く傷つくことも多くありました。いつも緊張の連続でした。

わたしの人生の大半このようなものでした。

ほとんど家にいなかったギャンブル依存の父親、一人では生きていけない弱さを持ち宗教に依存した母親、そして、ひきこもった「きょうだい」、生きづらさを抱えながらもつらさを吐露できなかった「私」。

いつも我慢を強いられて生きてきた「私」には「しんどい、助けて」と声に出すという発想すらありませんでした。そして、母の弱さが「私」を「ゆがんだ家族」に縛り付けていました。ストックホルム症候群に近い心理状態だったのでしょう。

「家族」は私にとっては煩わしいものの代名詞となりました。

おそらく、「私のきょうだい」のひきこもりも、「私」の生きづらさも、根底にあるのは同じ「家族」つまり親子関係なのでしょう。

 

子は生まれる「家族」や環境を選ぶことはできません。その「家族」の中で、「普通」の感覚を習得し、親の価値観があたかも自分の価値観であるかのような錯覚を信じて成長するのです。それが正しいか間違いか周囲とずれているかなど考えもせずに、ただただ親に褒められたい一心で、その「普通」を受け入れるのです。

だんだんと成長するにつれ、自分の「家族」と周囲との乖離に気付き居心地の悪さを感じはじめ、他の「家族のかたち」と違うことに恥ずかしさを感じたり身の置き場のなさに悩むようになり、それが「生きづらさ」へとつながったのではないかと今では考えています。

血は水より濃いと言いますが、血縁関係を切るという発想すらない今の世の中ではこのゆがんだ関係から解き放たれ自由になる道はありません。少し前の私はそのように感じていました。

しかし、本当にそうなのですか?もし、私の家族のかたちが改善の余地のない状態なのであれば、断ち切るという選択もあるのではないでしょうか。

夫婦であれば離婚ができます。しかし、親・子・きょうだい であれば、一生抑圧や我慢を甘受しなければいけないのですか?

「私」や「わたしのきょうだい」は、自分の人生を生きるために生まれてきたのです。

それぞれが、自分の心地よい居場所を探し選んでもよいはずです。自分の人生を選び生きることを「血縁」に邪魔されてよいはずがありません。

家族の絆を断つという考えは世間一般にはなかなか受け入れがたいものだと思います。

しかし「絆」とは本来、家畜をつなぎ留めておく綱であり、人の心や行動を束縛すること。人情にひかれて自由に行動することの障がいとなるものです。

基本的人権が尊重される社会にあっては、家族に絆(ほだ)される必要はないのです。

 

長い年月を経て私はようやく、1人でいることの幸せと強さを手に入れました。

手に入れた、同調圧力に屈することなく自分の心地よいと感じる生活を貫く強さに、私は今、大変満足しています。

しかし、心からそのように感じることができるようになるまでには長い時間と多くの試行錯誤がありました。

今でも、時折大きな負の感情が押し寄せてきて打ちのめされそうになることがあります。

今も、一人では対処できそうになくなり専門医の助けを借りています。

今後もそういった病的な不安に押しつぶされそうになったときのために、私がこれまでどのように頭と心の中を整理していったのか、その過程や思考を、可視化しておこうと考えました。

 

(次回: 2.不安になったときに整理すること)